昨日、毎日新聞に以下のような記事が掲載された。
私たちは介護、医療、保育をしているのではない。
人の生き方、暮らしをデザインしているのだ。
煙草が大嫌いな人にすれば、明らかな有害行為をなぜするんだろう?
臭いし、お金もかかるのに……
それは単に嗜好の違いではあるが、価値観なども多く含まれることも確かである。
好き嫌いや価値観とは一体なんなのだろうか?
この世に太郎として生まれ大人になり、一郎を愛することはどうか。
太郎として生まれて花子を愛することが“普通”ならば、一郎を愛することは“普通ではない”のだろうか。
普通かどうかの基準はマジョリティであるかどうかならば、一郎を愛するケースはマイノリティであり、普通ではない。
つまり、数の問題である。
喫煙者数が大幅に減少している中で、今や喫煙者もマイノリティである。
LGBTQIAの方々をセクシャルマイノリティと呼ぶのもそれと同じである。
私はよく“中村は普通ではない”と言われ、マイノリティとされてはいるが、実は潜在的にはマジョリティであることを顕在化する。
これこそが自分の仕事のように思えることがよくある。
「マパの日」
片親家庭が多くなってきているから……ではあるが、この日の意味はそれだけに過ぎない。
親御さん、子どもたち、スタッフ、近所のおばちゃんetc…
みんなが暮らしやすい地域とは何かー
私たちはトイロロ保育園を通じて、ダイバーシティのリテラシーを高めるアプローチを続けていきたいと思います。
太郎として生まれたけれど、花子として生きることを選ぶ人がいる。
それが普通のことであってほしい。
だって、それって普通だから。