最近、仕事で市役所に行くことが多い。ついでに市役所の食堂で昼食をいただくが、「安くて、マズ美味い」いや、超美味しい。そして、あらゆるところで市役所のダイバーシティの高さに気づく。当たり前だが、さすがだ。「なるほど、そっか。」いつもヒントをもらうのです。
お正月に比叡山に行ったが、大好きな阿闍梨さんはもういない。いないが対話をしに行く。
比叡山延暦寺の本堂である根本中堂ではなく、さらに山奥の小さな不動堂に参る。そこが我が聖地だ。
地球上で最も過酷な「千日回峰行」を二度も満行したのは比叡山1300年の歴史でたったの3人。阿闍梨さんはそのひとりだ。
延暦寺に認められた者しかできず、不退の行であり、始めると何があろうと途中でやめることは許されない。やめる場合は自ら自決することが定められている。信じられないが、本当の話だ。だから、いつでもそれができるよう、短刀と首を吊るための麻紐を携えて行に出る。行の中でも最も過酷な「堂入り」の4日目ぐらいになると自ら死臭がするという。
小生が阿闍梨さんに会いに行ったのは、それだけの行を二度も満行したすごい人だったから、ではない。学生時代は落第生、仕事では失敗ばかり、自分のせいで奥様が自殺したおっさんが39歳で得度し、60歳で行を終え、何を得たのかを聞きたかったからだ。
「会いたい人には、会いに行く。」
これは小生の人生のポリシーだ。
川の流れる音しか聞こえない山奥で、阿闍梨さんとふたりきりで話をしたあの時間。あの日の感覚が今でも小生の心を整える。
千日回峰行の700日目には自身が不動明王になるとされており、700日を過ぎると京の街へ出て人々にお加持をするのです。京都や滋賀の比叡山に近い方々は「今はどなたが行入りしておられるか」をみなさん知っています。みなさんが無事の満行を祈るのです。
「阿闍梨さん!なんで回峰行を2回もやったんですか?」そう尋ねると、
「一度ではわかりきらなかったんだよ。だから、もう一回やってみようかな〜と思ったんだよ。」
一度では理解できなかった本を再読したかのように、軽やかに阿闍梨さんは答えてくれました。
阿闍梨さんが書いてくれた書だ。
疾風勁草
ただでさえ、正解が多様化し、生き抜くことが難しいこの時代に、新型コロナウィルス…まさに疾風勁草だ。
阿闍梨さんが生きていれば、なんと言うだろうか。
きっと、
「どうしようもないじゃん。」 だろうな。