新型コロナウィルスが地球上に出現し、人間社会もあらゆる変化を強いられた。もちろん、良い変化もたくさんあるが、多くはそうではない。特に感染によって失われる命は少なくない。大好きなデザイナー高田賢三もそのひとりだ。彼のデザインした服を着ることが何よりの追悼になると思い…

会いたい人には会いにいく。これが小生のポリシーだが、亡くなっていると会いようがない。高田賢三と同じく、フランスで活躍した風景画の巨匠 荻須高徳

荻須を知ったのは高校生の時に観た、なんでも鑑定団。パリの街角が描かれた油絵の評価額は…うん千万円だった。

それから25年が経過し、実際に一枚の荻須の作品に出会った。

さっき描き上げたようにフレッシュであり、フランスの香りさえ漂うその作品に、体の隅々の神経が再起動した気がした。

買うことにした。なんでも鑑定団価格だ。そんなことはどうにでもなる。迷いはない。迷うわけがない。

美術品をcollectionする理由は自分でもわからない。絵のない豪邸ならば、絵のあるアパートを選ぶ。いつからか生きるのにartが必要不可欠となった。

小生は美術品は「買う」というより「預かる」が適切な表現だと思っている。その表現が本当に相応しい作品だ。

お預かりしてから2年が経った昨年末、銀座で荻須の大きな展覧会があり、作品をお貸しした。

展覧会の一等地であるウインドウに飾られた作品を見て、「やはりボクの物ではなく、ボクが預かっているんだ。」そう思った。

荻須さんに会うことは叶わないが、荻須さんが生きた証を手にした。

少しでもお金があれば、食べ物や洋服よりも、カンバスや絵具を買う画家…画家にとって絵は自分そのもの。

だから、荻須さんには会えなくてもいいや。